尊氏の情報リテラシー 太平記其三
京の上杉邸から難波見物に出かけた足利尊氏、一色馬之助主従は、ここで東北の騒乱(安藤氏の乱)の噂を聞き、これが世の乱れの予兆と急ぎ下野の足利の庄に戻る、という具合に物語が進む。
この時代、安藤氏の乱の舞台、青森十三湊は海運で既に日本各地と結ばれ繁栄していた。日本は中国から大量に持ち込まれる宋銭によって貨幣経済の広がりを見せていたが、東北も例外では無い。貨幣が流通すれば情報も流通する。青森十三湊の安藤氏のお家騒動が、商流に乗った形で情報として難波辺りまで伝わってくるのは不思議ではない。
貨幣の流通速度は、情報の流通速度と表裏一体だ。
情報が多くなれば、情報リテラシーが問われる。
尊氏の情報リテラシーがどれほどのものであったかは判然としないが、後に室町幕府設立につながる尊氏の行動を見ても、決して鈍くなかった事は確かだ。でなければ、鎌倉末期から室町にかけての動乱の時代を乗り切れない。しかしある意味、尊氏の情報リテラシーこそ、後の世の彼の評価を決定的に貶めた要因の一つかもしれない。
この時代、最も情報リテラシーに長けていたのは、海運・水運に深くかかわった商人と水軍だったかもしれない。水軍は情報量が豊富なだけに、相対峙する二つの勢力を天秤にかけ、分のある方に多くの場合加勢する。
例えば後の時代、足利尊氏が都での戦に敗れ九州に落ち延びた際、水軍の松浦党は、当初、形勢は尊氏に不利とみて菊池氏を中心とする南朝方に味方するが、多々良浜の戦いで尊氏有利と見るや、尊氏側にあっという間に寝返る。源平の戦いのときも、松浦党は形勢を見ながら平家方から源氏方に乗り換えている。
良く言えば、機を見るに敏。悪く言えば節操がない。
しかし、水軍に限らず、情報リテラシーに長け、それを即座に行動に反映させる人間は決して日本人の好みではない。長年培われてきた「忠孝」だとか「上下天分の理」とかが、状況判断に基づく素早い変わり身で利益を得ていく行動を是とすることを妨げている。一度手を組んだら、一度奉公したら、その相手が目を覆いたくなるほど不利な状況に追い込まれようが、そう簡単に鞍替えしてはいけない。簡単に鞍替えするような人間は、それが合理的な理由であったとしても、評価されることは難しい。まさにそれは恥の論理とでも言うべきものだ。
だから、情報リテラシーに長けていたとしても、「分析すれど行動せず」みたいな事になっていることが、この国では多いような気がする。必ず負けると分析しても、その分析に従って回避行動をとるとは限らない。そんな事をするのは恥だから。
ところが、今の世は、何かというとリテラシー。一部の知識人や、特にコンサルタントと称する人たちは、リテラシー、リテラシーと言うけれど、それを自由に行動に移せる社会の仕組みは100%整っているわけではない。
この国を取り巻く環境、例えばICTの急展開、急速な関連技術の進歩、中国を筆頭とする新興勢力の急速な拡大だの、環境のパラダイム変化とも言うべき時代に対応するには、どうもこの辺の社会の仕組みや意識を変えていくことを、もう少し真剣にやっても良いような気がする。
そうすると、足利尊氏に対する手厳しい世間の評価も、存外変わってくるかもしれない。
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